杉山私記(明治27年杉山三右衛門発行)
 この資料も各村ごとの記述ですので拾っていきます。

まず西郷谷村から。
 又、艮(うしとら)の方、稲野辺村に羽黒神社。乾(いぬい)の方、岡芹村に羽黒神社。坤(ひつじさる)外塚村に羽黒神社。巽(たつみ)の方下岡崎村羽黒神社を勧請し、当城四方守護とす。あまつさえ当領内総守護神として西郷谷村愛宕神社境内に羽黒神社を勧請す。各神社文明年間の創建なりと云う。

 次に口戸村の項には
 古老伝え云う。下野国へ入口故に口を上に置き其下に家の文字を置くべきを戸の文字を置き口戸村と称うと云う。当村羽黒神社は下館七羽黒の内なり。(あるいは下野国より陸奥国への入口の地名道口と云うが如し)

 最後に下中山の項では
 古老伝に云う。往古当所は西に五行川を帯い。其の東の谷地に住み、人家満ちたる故に奈加満村と唱う。其の文字を詰め中山村と改む。又同郷の北に中山村あるを以て頭の上の文字を冠らせたりと云う。当村字たらほう羽黒神社は、下館七羽黒の内なり。

 以上の七つです。この本では鬼門の羽黒神社が稲野辺になっています。勧請時期というより創建時期は文明年間となっていますが、勝氏とは明記していません。また、「たらほう」が出てきますが、これは「多良棒」で、現在下館一高の前にある神社です。七羽黒の一つとしています。


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