下館市史(昭和43年下館市市史刊行会発行)
 下館市史の「第四編 第一章信仰 第一節各地の神社 一下館地区の神社 羽黒神社」の項に下記の記述があります。

 文明10年(1478)結城氏の客分だった水谷勝氏が、南方の小田氏、東方の佐竹氏に備えて下館に進出し、初めて下館に築城した。三年後の文明13年(1481)領内安堵のため日ごろ崇敬する出羽国の羽黒大神を勧請した。(中略)その時古式により下館の羽黒神社を中心として、下館城の鬼門にあたる市野辺と、風門にあたる下岡崎と、病門にあたる外塚と、天門にあたる岡芹とに五つの羽黒神社を創立した。(中略)
 その後、第六代の水谷蟠龍斎政村が天文14年(1545)に久下田城に入った時、鬼門にあたる大根田村と、病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。世人が七羽黒と呼ぶようになったのはこれからである。
 下館の羽黒神社は筆頭の神社として特に崇敬され、水谷家の武運長久、領内安全、子孫繁栄を祈願された。

 下館市史では鬼門の方位の羽黒神社が、市野辺にあると書いてあります。また勧請時期が文明年間、勧請したのは下館城の初代、水谷勝氏だとしています。

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